Toru Sasaki`s Gallery

二十四歳の女マネージャー  

  西安で泊っていた皇城賓館の前の通りは、中国の喧噪そのものだが、西安一の賑わいで、町の光と人の群れに華やかさもあった。この道をホテルから右に二分ほど行ったところに、回転寿司と看板をつけた"明都"という店があった。わたしは、たまには油の少ない、胃にやさしいものを食べたいと入ってみた。

   何人もの声が"いらっしゃいませ"と日本語で迎えてくれた。明るい日本風のたたずまいで、ずっと奥のほうから小皿の回ってくる回転寿司の機械がどんと中央にある。あちこちに立った従業員は青い着物を着て、規律を感じさせた。こうして喧騒の道から入ってくると、客の数がまばらではないかと心配にもなった。

   回転している皿の上には寿司が四分の一くらいで、ほかの皿には、煮魚、やきざかな、果物と雑多だ。メニューにはてんぷら、すき焼き、一品料理、定食など、いろいろあった。日本料理店に回転すしの機械を置いたという趣向だった。三つの色で区別される皿は百円円から二百円の値段が付いていて、日本の値段に近い。西安の人にはきっと高すぎると思った。

   回転すしの前を避けて横の椅子席に座り、うなぎ定食(25元)と野菜いため(十元)を注文する。 三、四人の若い女性の店員がニコニコと覚えたばかりの日本語で次々に話し掛けてくる。"中国語話せるの?"、"どこから来たの?"しばらくの会話でさわやか、物怖じなし、好意を感じる。

   そのうち、一人おずおずと控えめに日本語で"ご意見をうかがわせてください"という女性がいた。

   "日本の回転すしはもっとはやっているよ。""日本人は来るの?"と私
   "西洋の人が最近来るようになりました。"と答え。

   臆するように話し、あどけない様子。しばらく話すうち、他の店員と異なることに気が付いた。まだ他の店員と同じく童顔が残りあどけなく見えるのだが、青いスーツを着ていた。  

 
 "あなただけ服装が違うのはなぜ?えらいの?マネージャー?"とわたし。

説明に戸惑っていたが大同経理と書いてくれた。このときは店長かと驚いた。
名前は"呂紅"さん。(大同経理は店頭ロビーのマネージャー)


  わたしの驚きの中で、彼女が語ったのは次のようであった。 "私は日本料理を西安で習いました。北海道庄屋という店の高橋さんという人に習いました。いまは、この店で習った日本料理を料理人に教えて作らせています。西安には日本料理店が十二軒ありますが。わたしの今の給料は二百五十元位です。" 話す間に何回か"がんばります"という言葉が出た。

  "それで年は?"とわたし。
  "二十四歳です。"と答え。"私には人の管理は大変です"とも行った。


  そりゃーそうだろう!驚きと感激が交差する。 出てきたうなぎのかば焼きは、日本の専門店並み。とてもうまい!脇を通り過ぎるてんぷらの盛り合わせもパリッと上がっていて、本格的!驚き!  そして店に出ている店員は16人ほど、裏にいる職人さんをいれると、二十五人ほどになるだろう。店の後ろでは日本料理を教えて作らせて、店頭では日本語と日本式の行儀作法でのサービスのため陣頭指揮している! このあどけない二十四歳の少女が!


  私はこの少女の様子を伺った。他の少女にくらべて慇懃で喜怒を控えめにした日本的な物腰。日本的に控えめに話す。目は外に向かって輝いていないで、内省的で苦渋さえあるように見えた。この目は部下をしかる時も、客に苦情をいわれるときも対応できる。日本の四十代の管理者に時にみかける表情。 二十四歳の女性にしてこの奮闘ぶり。


  いくつかの思いが私を突き動かしていた。きっと十四、五から日本料理店に入って、日本人から厳しい日本式の職人としての指導を受けた。きっと、必死で修行の道を励んだ。そしてこれからも彼女の職責を果たすには頑張らなくてはならない。


  この私の年齢の人間でさえ、青春は自由で明るく、きらめいていなければいけないという固定概念のようなものがある。青春をこのように定義してしまえば、この少女に青春は別のものだ。これらの仕事をきちっとやるにはこれからも、青春の時間はないだろう。     

   
  この旅で多くの少女や女性が働いているのを目にしてきた。中国は若いときから働くのがあたりまえで、このたびでひたすら頑張りますという言葉に出会った。 人間は環境次第でその力は何倍もちがうように発揮される。中国の一人一人の今のパワーに十三億という人口で発揮される国力は計り知れない。


  日本料理を作ることや日本式のサービスは、日本の精神文化がしみついている。これを中国の人に知ってもらうことはとてもよい。 中国からはたくさんの精神文化をもらった。其の精神文化からそだてあげたモノを知ってもらうのは、中国への恩返しというものだろう。


  翌日は西安を出る一日前だった。夕方、やはりこの店でうなぎを食べた。この少女に会いに来たのだ。二人で写真を撮って、また来るからねと握手をして別れた。



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