当時の画家による町の様子
小高い丘を上がると、がらんとした西部劇の町があった。
道幅は15メートルもあろうか。縦横に整然としている。両脇に年代物の建物が居並ぶ
建物の正面の高いところに1870年前後の年代の表示がある。
広い道に人影がない。坂となった道に冷たい風が吹き抜けていた。
道には人がいなくとも、灯火の見える家が見えた。
酒場であり、人々が集まっている。ここだけは昔の賑わいか。
悲しい情緒、
だが懐かしい雰囲気。
この町は何なんだ!!!
ある日突然原野に金が発見されると、
そこに三年ほどで3万人ほどのが集まった。。
1870年頃、
この地方にそんな幾つもの町があちこちに出来た。
世界中から人が集まった。イギリス人、中国人、ドイツ人・・
それぞれ、国を出なければならない事情がたった人々。
そう、夢と欲望に目を血ばらせた人々の群れが、この道にひしめいた。
酷暑に労働。馬のいななきに馬車のきしみ。厳寒にテント生活。
疲れに望郷。故郷からの便りの渇望。争いと栄達。女に酒。
そして、いつかどの金鉱も流れ出る地下水に抗しきれず廃坑。
その間、50年ほどの柄の間の栄華。人々は去った。
どの町も前後するが100年ほど前に町の進化の時計が止まった。
そんな栄枯盛衰の町を訪れる旅になった。
その間の富を如何に使おうとしたのか、そんな場所を訪れた。
残されていたのは、"ふるさとへの通信&子供の教育&心の救済"のための立派な建物。
これらから見るに、イギリスの移民はとてもまともだ。そしてエレガント。
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