ギリシャ エーゲ海、光と青と 遺跡のの旅 |
ROHDOS ロードス島 |
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ロードス島の十字軍について エルサレムの聖ヨハネ騎士団は聖地への巡礼と保護を目的として 11世紀に設立された宗教・軍事団体である。 1291年エルサレムが陥落するとともに、 ロードスにやって来て1522年にトルコ軍によって陥落するまで ロードスが活動の拠点となった。 騎士団は当時七つの語族に分かれていた。 フランス、プロバンス、オーべニュ、アラゴン、カステージャ、イタリア、イギリス でありそれぞれ宮殿を持っていた。団員数はフランスが一番多かった。 騎士団員は純潔と清貧の誓いを立て、侍臣と修道修士によって補佐されていた。 1522年オスマントルコのスレイマン一世の率いる包囲に10万の軍勢に、 650人の騎士に加えて1000人の補充兵で半年戦ったが降伏した。 160人の生き残った騎士たちは各地を転々とした後、1530年にマルタ島に赴いた。 |
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十字軍の城 |
これは建物を入ってすぐ左の二階に上っていく階段だ。
騎士団長の宮殿を見ての感想 戦いの最前線基地でありながら、豪華絢爛たる雰囲気が伝わってくる。 600人ほどの騎士が居たようだが、戦いの合間も ヨーロッパの上層階級としての生活を捨てることにはならなかった。 戦いの合間にはヨーロッパの華やかな生活があった。 日本の防人の泣けるような生活とは対照的だ。 ヨーロッパの国々が国力を掛けてこの十字軍を支援したのだろう。 改めてヨーロッパの人々のキリスト教への思い、或いは、 これを主導したローマ法王の権力を知った思いだ。 豪華といってもといっても、何か修道院のような質素さも付きまとう。 十字軍に入るときには騎士たちは清貧と純潔を誓った。 この館を中心に騎士たちはどんな生活をしていたのだろう。 規律正しく精神的には修道士のような生活であったのだろうか。 この騎士団長の館は毎日が軍としての統一と コミュニケーションをとるための華やかな貴族の生活であったか。 祈りと奉仕の場であったのか。 この館には家具が置かれていないが、当時置かれた家具を置いてみて欲しいものだ。 思い起こせはヨーロッパの貴族の生活の場所とは、城であり、 城とは軍事の場所であり生活の場であったから、 城をよく見ているヨーロッパの人々には、 このような疑問は湧かないかも知れない。 アラブとの対決の最前基地であり、戦いの最中の緊張感は只ならぬものであったであろう。 これらの恐れと、神のために戦うことで、ひたすら神に祈りを捧げる館ででもあったのであろうか。 十字軍とヨーロッパの中世を身近に感じる宮殿の散策であった。 |
ローマ時代のモザイックが装飾とて持ち込まれた。
観光客の憩いの場所