MAYA  驚異の宗教観と天文学

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Palenque
 パレンケ 


碑文の神殿(一番左)の前を歩く観光客

 ビジュアルモッサから二時間半バスに揺られてパレンケの町に着いた。
さらに、パレンケの町からバスで30分

この地には紀元前から人が住着いたとされるが、紀元7世紀のパカル王とその息子の時代が全盛期で、マヤ古典後期を代表する遺跡。その後衰退し、10世紀には密林に埋没した。

 800年間密林に埋没していたが、1747年デソリス神父がここを訪れた。19世紀から発掘作業が続いた。1952年に碑文の神殿の地下から墳墓が発見された。


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碑文の神殿(左)と宮殿(右)
パスカル王が建てた


パスカル王の建造物

碑文の神殿
パスカル王の葬祭殿として7世紀に建てられた。神殿の壁面一杯に600の碑文がある。200年にわたる王家の歴史の記録。1952年神殿の底に穴を発見して掘り進み、墓石や装飾品を発見。マヤ神殿に墳墓の役割を見たのは始めて。

高さ23メートル 碑文の神殿



宮殿
王の住居跡。住居内はみて廻れる。

宮殿

天文観測塔。高さ15メートル。 宮殿正面 宮殿正面


パカル王の王位継承を描いたリリーフ

中庭で

奴隷の石像一部

奴隷の石像 奴隷の石像3 奴隷の石像4






息子チャヤン・バラム王の建造物


十字架の神殿

 
宮殿より 下の広場より 入口付近 入口内部、壁画
チャアンバラム王の浮彫



太陽の神殿



葉の十字架の神殿

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