地の果てパタゴニヤ紀行

  プエルトモン


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 旅の始めのプエルトモン

  
十一月はじめ。私はサンチャゴからプエルトモンに飛んだ。
  初めて見るパタゴニヤは、どんよりとしてすべてのものは、鈍くしか光らなかった。これから行く南の端からすると二千キロも北の、 パタゴニアの入り口と言うのに、
  うらぶれて すでに最果てのが切ない情景  海の情景は鉛色で日も差さず、人々は黒いオーバの襟を立て 足早だ。
  時折、雨が通りすぎる。 眼の中に入る海側の風景は、人の造作物が一切入らない それほど人の形跡がない。すべてが鉛色に見えるが、時として透明感がある薄い光をカメラはキャッチしていた。


 
海の中の島は緑に見えていても 海の情景は鉛色で日も差さず、時折、雨が通りすぎる。 眼の中に入る海側の風景はすべてが鉛色に見えるようだ。 薄墨の風景に一もとのピンクの花束。 さらに、置き去られた一台の自動車が一台。 これは鉛色の背景にはとても白く輝いて見える。 何故だろう?

 プエルトモンの夕焼け

午後九時にツアーが終わり、宿のある丘の上に来た。空と遠くの白い山と町は、ピンク色の空気に包まれていた。朱色や紅色の夕焼けは見たことがあったが、ピンク色のそれは始めてだった。低い位置からの太陽の赤い色が上空だけに届くとき、そこの希薄な空気の粒子に反射して、赤色が少しだけ地上に届けられる。そんなパタゴニヤの風景を、私はいつか特別の世界と思うようになっていった。昼間見るパタゴニヤは暗く寂しいことでしかなかったから、澄んだピンク色が空と海と街の隅々に行き渡るのが、嬉しかった。



  オソルノ山1日ツアー


   
オソルノ山 オソルノ山;Notro



 パタゴニヤの旅の終わりのプエルトモン
 十二月の終わり、景色が良いという触れ込みだったので、プエルトナタレスからプエルトモンまでクルージングを組み入れた。こうして、私のパタゴニヤの旅の最後の町は再びプエルトモンになった。しかし、海の上では天気が悪く、ために景色も見えず終いだった。貨物船だったから羊や牛の臭いばかりが気になった。 他にすることもなかったから、四泊の船の中では、アラスカからオートバイで南下してきた冒険野郎とずっと話をしていた。こうした環境で延々と話し続けると、今までの経験もこれからのことも、日頃は考えない底の底まで掬って話す事になる。私がプエルトモンを立つ時彼は丁重に送ってきてくれた。

   
船で再びプエルトモンの
夕焼けをみる
プエルトモンの町と
これを見るクルージングの客
船の中からの風景は曇っていて
見所ではいつも何も見えなかった


  余暇

 
近くの港町アンヘルモの名物料理。この一皿がボリュームがある 生うにが鍋に一杯で900円。なぜか日本で食べるほどは美味しくない

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