パタゴニアの旅
  ウシュアイアハイキング
平成十二年十一月二十九日

エメラルド湖




結局、私は今の季節ではハイカーが,一日に一人か
二人しか行かないパタゴニヤの原野に行ったのだ。

そのハイキングコースはウシュアイアの観光案内所のお奨めだったし、
ホテルマンの推薦では、時間は掛からずに行け、素晴らしい所と言った。
前の日にもらってきた観光局のパンフレットには、一本道にしか見えないI字型でに地図が書いてあって、迷う心配も無いと判断していた。 タクシー乗り場では、このハイキングは四時間はかかるという話だった。


港の近くにあるタクシー乗り場から、海沿いに
ビーグル水道を火の国国立公園の反対方向に、しばらく走り、
さらに山のほうにタクシーは向かった。

山々は思ったより垂直に立ち上がり、
その間を車は高速でらせん形に滑っていった。
途中の山々はパタゴニヤの山の風貌を持ちつつも、
それぞれ独立に立ち上が名山というに相応しい形を示したので
然るべき名前を知りたいと思っていた。

フランス訛りのスペイン語を優雅に操りながら、タクシーの運転手は
天辺の岩山にコンドルが舞っているのを教えてくれた。
やがて見晴らしが良く、緑も遠くに見える山間を走った。
聳えるのがオリビエ山、谷の底を流れるのがオリビエ川で、
オリビエと言うのは命と言う意味だと教えた。

さらに、あそこの山と
ここの山の間の、緑の谷がこれから
行くところで、その奥の白く見える氷河が
今日のハイキングの目標地点だと教えた。

帰りのタクシーの迎えは同じ場所で午後の四時と
約束して、タクシーは今日のスタート地点についた。

樺の新緑の林の中に小さな小屋が
何軒か建ち、真中に少々の広場があった。
幾匹もの犬の遠吠えが響き渡り私達を迎えた。
運転手は私にハイキングの道を教えてもらう必要がある
といって、レストラントいう看板がでた小屋に入っていった。

見渡すと一つの小さな小屋の屋根一面にタンポポが黄色く輝いていた。
周りの樺の林は芽が出たばかりで日本の四月の終わりという雰囲気だった。

樺の林の中の薄暗い中に、見たこともない視野一杯の犬達を見た。
一匹ずつが決して交わらないように間隔を空けて、杭に括られた犬は静かだった。何ゆえ、こんなに多くの犬がここにいるのか疑問だった。


出てきた小屋の主は小太りで、逞しい腕をぐっと出した。信頼感がある腕であった。腕の主が素朴な風貌のせいかも知れなかった。
「食事をするのか?道案内は必要か?」と聞いた。
「四時間か五時間は掛かるが」といって
私の足元の靴を確かめた。

「そうか、一人でいって四時にここに戻ってくるのだな」と念を押した。

ハイキングに行く道を教えてくれたが、さっぱり聞き取れなかったら、
英語が出来る黒く痩せた男を呼んだ。
「十分ほど行くと橋があり、その先に二股に分かれる道があるから
そこを必ず左に行け」ということだった。

私を送りに出て来たドイツ人にこの犬は何の為かと聞くと、あるものを指差した。橇がいくつかあった。スノーモービルも数台あった。
この四十匹ほどの犬達は、観光用のイヌ橇のために飼われているのだった。 銀世界の中で樺の林の中を犬橇が観光客を乗せていく光景を思っていた。


歩き始めると、道というにはさっぱりけじめがないもので、足跡モ無く、
ただ、林の中の木がない場所が少し広く長くあるというものであった。
十分ほど行くと小川があり細い丸太が五本ほど渡してある場所があった。その手前には左に折れる道はあるが、その向こうは少し歩いても分かれていない。話が違う不安で再度道を確認するために引返した。


英語をしゃべる男に再度聞いていくうちに、橋というのは丸太のこと
、二股に分かれるのはそこから百メートルほど先だという。
すでに、 道が怪しげで不安を感じていたから、
さらに聞こうとすると「道案内をするか?」と言う。
その時でもまだ観光局の I 字型の地図の道が念頭にあったから、
「何故そんなことを聞くのだ?一人でいけるのだろう?」と聞くと、
道に迷ってしまったらハイキングも台無しだからという。


不安で本当に大丈夫かと聞くと・・。
「大丈夫だ。道をたどるとやがて林の中に入る。
林の道ははじめ広いがだんだん狭くなる。
二度山を越えれば目的地に着く。」
さらに、樺の木の上から山がやっと見えるところに私を連れて行き、

「いいか良く聞け、万一道を見失ったら
、左の三角帽の形をした山と、右の白い山の間の谷に向かって歩け
、そこが目的地だ」と説明した。   

再び歩き始めた。はじめの広大な平原の中にある林は
、乱雑に原始の巨木が切り倒されて無秩序な様子だったし、
その先は川のジグザグな流れで途切れていたから、
道が視野の先のどこにあるか探しながら歩いた。
また、振り返って帰りは景色のうちの
どこに戻っていくか、目に焼き付けながら歩いた。



太古に人間が磨き上げ、私にも継承された画像認識能力が
試されていると感じた。さらには、太古の人々が自然を歩いたと同じ感覚の駆使と不安で歩いているとも思った.
 

やがて、新緑の芽が出たばかりの林が現れて、遠くから
入り口となる道を見つけて入っていった。
緩やかな登りの道であったがやがて道らしいものはなくなっていた。
林の中は三百六十度どこを向いても、やや間隔があり歩いていける空間があったし、木々が倒れて緑に苔むして同じ様に行手を阻んでいた。

この林の中で道を失ったらどんなに自分を失うかと考えていた
。周りはだれも住まないパタゴニヤだから、ここは富士山麓の青木が原と同じで助からないと思った。
何故道が見えないかと考えていた。このあたりは雪が解けてそれほど経っていない時期だから、
去年の足跡は消えていて、今年はまだ黒く足跡が付くほどは
このハイキングコースに人が入っていなかった。



  わずかに土が少し黒くなっていると思える方向に歩いた。
やや、木と木の間が広い方向に歩いた。

そのように歩いていくと百メートルごと位に、
十センチ四方のブリキに書かれた赤い矢印が歩く方向を示して木々に打たれていた。
誤って入って行きそうな木立の前に、方向転換を確実にすべきところには、この赤い矢印が打ってあった。



   やがて、林を抜ける見晴らしの良い枯れ葉色の湿地帯に出た。
それから先の湿地帯でも、草もミズゴケもすべてがこの湿地帯では緑を帯びてはいなかった。
まだ春にも至らない風情だった。ここをさらに登って抜けると、更に大きな湿地帯に出た。
湿地帯には道などなかった。足元は茶色に見える土に見えたが、五十センチほどにみずごけが分厚く被って足が所々で沈み込み、
トレッキング用の靴が脱げた。時として湿地帯の上の小さな石の上を渡り歩いた。



ハイカーがここで道を見失うのはいつもの事で、
だれでもが山と山の間に向かって、この大湿地帯をジグザグに進むのだと悟った。
湿地帯の行く手に大きな横に伸びる豪壮な岩のひな壇が遠くに見えた。
すぐその後ろは白い氷河を蓄えた山間が聳えて見えたから、
このひな壇の上に目的のエメラルド湖があると考えそこに向かった。

湿原には川が大きく蛇行して流れ始めていた。
川に横たわる幾つもの巨木の硬い白骨の肌も灰色に見えて河の中に漬かっていた。
川の中は歩けなかったから、湿地帯を避けて右の山の中を迂回して、ひな壇の岩に近づき登っていった。




ひな壇を登るとしばらくでやはりエメラルド湖があった。
二つの大きな岩山が右と左から傾斜をつくり
その間に白く氷河らしいきものがあり、
その後ろ側は白っぽい茶色のぶつぶつとした巨大な岩肌だった。
その手前にエメラルド湖は大きく深い緑色をたたえていた。



岩山は灰色で無数の筋を刷毛で折り目正しく刷いたようにつけて湖に迫っていた。
湖からは水が溢れ出して川となり湿原に向かって流れ出していた。


湖畔に入っていくとき、足元に苔の大きな緑の玉に赤い実が成っていた。
足元のすべてが花を宿す盆栽であった。




湖畔に漬かる白骨の枯れ木は勿論のこと、
緑を蓄えた木々の一本一本も太古から時間をかけた パタゴニヤの風と厳寒で磨きぬかれた盆栽だった。
顕微の世界から大きな木までが盆栽だった。
これを湖と岩山と共に写真に収めた。



右のほうの湖畔の岩の上に一組の男女が湖を眺めているのが見えた。
今日始めてみるハイカーであった。この湖畔の足元の苔盆栽は、
盛夏に一日に二十人もハイカーが来れば全滅だろうと思った。
それほど無防備に足元にあった。
岩山が湖に迫り、湖から多量の水が川となり溢れ出るところがあったから



湖を一周することは出来なかった。しばらく散策して帰路についた。


ひな壇の上では黄色の小鳥に出会った。
写真を構えているうちに私の体の周りを声を出しながら廻り、いなくなった。
こういうところではこの小鳥が親しいものに思え、一つの出会いを感じてしまう。

ひな壇の上からは歩いてきた大湿原を見ることが出来た。
曇り空に茶色一色に川がくねる大眺望。
見やれば思い思いにジグザグにしか歩けない湿原だ。



今日は十一月二十九日。パタゴニヤの初夏にこの湿原に緑は陰りもない。
ウシュアイアの紅葉は1月から二月と言っていたから草が緑になるのは一ヶ月と少しくらいだ。
いつか夏が来て緑一色になると想像した。そして思い思いにハイカーがこちらに向かってくるのを想像した。
心はそうしても、なお、パタゴニヤの自然に孤独で心震える山行きを演出する今が良いと思う。

帰りは行きよりも緊張は少なくやや安心が入っていた。
山の上のほうから下に向かうから視野が利いて道を違えないように思えた。
林を抜ける頃、道は案内人は広いと行っていたから、広い道を辿っていると
いつか何時か湿原で、黒い泥の中に靴を漬けながら歩いていた。
この場合、冷静に冷静にと言い聞かせ道を戻り始めた。
十分も戻ると広い道から狭い道への案内の矢印があった。見落としていたのだった.。
このとき道を求めて一時間も歩いていたら冷静でないため息もあっただろう。

林を抜けると川が流れる広い眺望だったが、歩く前方に記憶のない景色が何度も現れるようで
、こころ穏やかではなかった。再び林に入る頃、鳥が飛んで木の間に優雅なシルエットを作った。
林の間を鳥を追い何度かカメラを構えた。憩いのときであった。



しかし、戻りの道の方向を考えず鳥を追っていたから
また迷ったかと思う。幸いすぐに道を見つけた。


 どこまで来たかと歩くうちいきなり近くで多くの犬の遠吠えが始まった。
待ち合わせの小屋の傍に来ていたのだった。
四時五分前だった。ドイツ人と朝のタクシーの運転手が迎えてくれた。

タクシーの運転手が"ロボ"がいるぞといった。
ドイツ人が他の犬の間を縫って金網に案内してくれた。
アラスカ狼だといった。エキスモー犬よりも一回り大きく、手足がとても長い、
純白の長い体毛で、優雅な体つきだった。
一緒に橇を引貸せるのが目的だろうかと考えていた。
そのときもう今日の歩きが大変だったのは忘れていた。   



 帰りのタクシーの中で「あのハイキングコースでは
道を迷う人は多いだろう」と聞くと、ほとんど無いと答えた。
意外だったから一年に何人ぐらいの人があそこで遭難するのか?と再度、質問すると、

再び、ほとんど無いと答えた。
「万一そんなことがあればあのドイツ人が犬を連れて出動するから問題ない」といった。
そうか、それであのドイツ人は帰りの時間が四時だなと確かめていたのかと思った。 、